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特殊技能で成り立っている家業で、寄与度に差が認められた裁判例

精算的財産分与の精算割合である寄与度については、夫婦平等とする2分の1ルールが広く採用されている。

経済活動に対する夫婦の協業・協同態勢から、①共働き型、②専業主婦型、③家業従事型に分けられ、いずの類型においても2分の1ルールが原則である。

但し、家業従事型では、一方の特殊な技能や経験で家業が成り立っていて、他方の貢献が補助的なものに止まる場合は、寄与度に格差があり、必ずしも2分に1にならないというが従来の考え方であった。革製袋物加工業の家業について、これが夫の技術によって成り立っていて、妻が経理、集金、配達、注文取り等で担当し家事も担っているに事案について、夫6割妻4割とした裁判例を紹介する。

しかし、一方が、必ずしも特殊な技能や経験をもつ場合と限らないし、他方の貢献が補助的であっても、家事育児を担当するのが一般的であるから、原則平等とすべき意見もあり、双方が相応の貢献をしていれば、平等とした裁判例も多く、本裁判例も夫5割妻5割でもよかったのではという有力な意見もある。

本裁判例:大阪家裁昭和41年4月12日審判(家裁月報18-11-60)

事案の概要

  • 妻が大分県中津市のキャバレーで働いていた時に、女給と客として知り合い、昭和21年秋から同棲し、23年1月に婚姻。
  • 両者は昭和26年5月頃まで大分県に住んでいたが、同居していた姑・小姑と妻の折り合いが悪かったことから夫婦関係は円満を欠き、妻は何度か家出した。
  • 夫は不安定な生活を精算する目的で、昭和26年5月頃に単身上阪して、○○商店に皮製袋物加工の職人として勤務し、翌27年夏には、妻と子2人も合流して大阪市内に居住した。
  • 夫婦間の波風は絶えず、昭和28年から約1年間事実上の離婚状態を続け、夫は他の女性と同棲に近い生活を送ったこともあるが、昭和29年に復縁した。
  • 夫は、袋物加工の職人(皮製ケースを工業用ミシンで縫い上げその加工賃を得る)として腕が立ち、頭も切れるので昭和34年5月頃に独立した。
  • 家業は順調に推移して、離婚時の夫名義の財産総額は134万に達し、夫名義の買掛金債務を差し引いた約74万が分割対象の共有財産。
  • 昭和40年6月に協議離婚。

裁判所の判断

  1. 離婚原因に双方共有責性はなく、性格の不一致による離婚であるので、財産分与において慰謝料的要素を考慮する必要はない。
  2. 夫は、ミシンがけを含む皮加工の力仕事全部(独立当初は、妻もミシンがけの一部担当)を担当し、妻は、集金、金融、注文取り等の外廻り仕事をオートバイを操縦して行う他経理処理を行ってきた。(妻が帳簿をつけなかかったことが夫婦の反目の原因となった。)
  3. 妻は男まさりの働き手であり、家業の維持発展に寄与貢献した程度は相当高かったと考えられるし、家事労働は妻が担当した。
  4. しかし、家業は、夫婦の働きぶりの外、夫の習得した技術と獲得した信用とを基礎として成り立っている点をも考慮した結果、妻の持分割合を4割と判定し、夫に財産分与として30万の支払を命ずる。
  5. 本件財産分与は、純然たる共有財産の精算の性質を有するので、夫が現在肺結核を患って十分働くことができないことや、夫が自作農創設特別措置法で農地を所有していることは関係がない。又、妻が帳簿を作成せずにへそくりを蓄えたと夫は主張するが、事実を認めるに足る証拠はないから、その主張は採用できない。

コメント

  1. 本審判は、2分の1ルールが確立していたとは言えない昭和41年という時代背景を抜きには考えられないのではないか。
  2. 「妻は男まさりの働き手であり、家業の維持発展に寄与貢献した程度は相当高かったと考えられるし、家事労働は妻が担当した。」と認定しながら、なぜ妻の寄与度は5割ではなく、4割に止まったのか、現在では理解に苦しむ。裁判官には、男女の貢献度に差をおく考え方がかなりあったのでは想像される。
  3. 現代では、間違いなく夫5割妻5割の審判となろう。

参照資料:「離婚に伴う財産分与ー裁判官の視点に見る分与の実務ー」松本哲泓著(新日本法規出版、2019年8月)

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